TOPへ戻る ランプの灯  

ううっー

有留大三(うる・だいぞう)はハッと目をさました。この頃どういう訳か夜中に目がさめてしまうのである。 その夜も、何かの騒音で安眠を妨害されたような不快な気分で目がさめてしまった。 しかし、耳に入る音もなくあたりは静かであった。

アルバイト先の美術館の事務室で、有留は斜め前の席の赤土円詩(あかど・まどか)さんから話しかけられた。
「有留くんは何ともないの? 亜森(あもり)くんは、シュメールの祟りとかで眠れないと言ってたけど」
「えっ、亜森さんにシュメールの祟りですか」
有留は「祟り」という非日常語に思わず笑ってしまった。赤土さんも「おかしいでしょう」と言いながら笑った。

亜森阿主流(あもり・あする)も、この美術館でアルバイトをしていた。 有留と同様に古代文明を研究テーマとしており、大学や各機関が組織した海外調査隊に参加して成果と言えるものを掴もうと努力していた。 最初から対象を小さく設定するとテーマが消失する恐れがある、というアドバイスを行動のベースに置いているため、交際範囲も行動範囲も広かった。 赤土さんが、今季開催予定の美術展に関係する英文資料を手に持ったまま笑ったのは、亜森の日頃のタフな行動力とシュメールの祟りというミスマッチがおかしかったかららしい。

有留は文化の伝播にテーマを絞っていた。 古代オリエントで発祥した人類最初の文明の担い手たちの、都市生活者としての文化は交易や移住により広く伝播した。 小麦栽培と製粉技術の獲得により得られたパンは、その洗練された文化の源であった。中国風に言えば「華夷」を判断する基準であり、パン食は文明化された民族の証であった。その強烈な自負は、栽培種として収穫することに成功したその日から現代までを、一直線に貫いているのである。 この文化の高低差の認識を、近隣諸国は共有していた。 麦とメソポタミアの文化は、近隣諸国で産出する金やラピスラズリの対価となり得たのである。 「夢の消費生活」文化の光と影はメソポタミアの地を照らし、また曇らしながら現代に至っているのである。 有留は、地味なテーマから出発して、あるべき未来像にまで踏み込む構想を練っていた。 亜森は、日本へ伝播した文化の大元はエジプトにあるのではないかと言い放っていた。大河の下流で掬い取った砂には多くの支流が運んだ砂が入っているものだが、まぎれもない特徴もある、それを感じるのだそうだ。 そういう訳で、有留は亜森と議論を戦わすことも多かった。

赤土さんが、シュメールの呪いの話を振ってきたのは、先月、亜森と二人でインドへ行ったことを指しているように思われたが、インドとシュメール(現在のイラク南部)では時空に違いがあるので、紛争当事国に旅行したと勘違いしているのかも知れなかった。 有留も亜森に聞いてみたいと思った。亜森は、常設展示の展示リニューアル計画の詳細表を片手に、倉庫と事務室を往復して忙しそうだった。しかし、帰りに駅近くの居酒屋に寄るという有留の誘いには賛成した。

居酒屋は混雑前の時間帯で空いていた。有留が、この頃夜中に目が覚めることについて話を始めようとしたとき、亜森が周囲を気にしているような小さな声で言った。
「出たんだ」
「えっ」
「シュメール人の亡霊が出たんだ」
「えええっ」
亜森の真剣な顔と、話の内容にはあり得ない程の隔たりがあり、結構シュールではあったが笑う訳にはいかなかった。 目のあたりが落ち窪んで、何かに憑りつかれて衰弱しつつあるようにも見えたからだ。
「エンリル神の言葉を探せ、何をしている、と亡霊が言うんだ」
「あっ」たちまち頭のどこかに紛れ込んでいた記憶が、有留の頭の中に甦ってきた。 夜中の騒音は「エンリル神の言葉を探せ」という声ではなかったか!「エンリル神の言葉」それは、無条件に実行されなければならない命令であった。
「そうだ。命令だ」有留は憑りつかれたように言った。
「えっ」と、今度は亜森が有留の顔をまじまじと見ながら驚いた声を上げた。
「有留さん、大丈夫か? 急にどうしたんだ」
「あれだ、インドで買ったあの粘土板だ、あれに書かれている言葉がエンリル神の言葉なんだ」
有留の興奮した顔を見ながら、亜森はがっかりした声で言った。
「あぁ、あのニューセラミックか。あれは、中国で作ったお土産品だ、中国のレプリカ作りの技術向上と販路拡張の成果だよ」

有留と亜森はインド北部の国境地帯まで足を延ばして、東西の文化が流入する町と、微塵も変わることのないヒマラヤの山々を見てきたのだ。 特に、墨絵の中に迷い込んだような夕暮れ時に見た、金色に輝く高峰の荘厳さは、神の存在を実感するに十分であった。 神の高地の人々は商売の人で、人が多く集まる場所はもちろん、人など通りそうにない場所でも商品を並べていた。 下界には存在しない貴重な物はないかと、欲を出してタルチョのはためく道を歩いていると、小さい広場に露店があって、ネパールで入手したものらしい黒く丸い塊をいくつか並べていた。 アンモナイトの化石である。ヒマラヤには、太古の海底の地層が露出している谷もあり、場所によっては、軽自動車のタイヤほどもある豪勢な大物化石も見つかるらしい。 黒いアンモナイト団子とラマ教の仏具の間に、小さな粘土板が二つ置いてあった。 「あれはどうしてここにあるのですか」と、商品を並べた黒布の向こうにいる女に尋ねたが、返事がない。ひやかし客に商品説明をするほどヒマではないようだった。 手に取って品定めでもしようものなら、女の後ろに控えた男に飛びかかられそうだった。 亜森もその粘土板に興味を持ったらしく「あれはいくらで売るつもりか」と尋ねた。すると女は早速「xxだ」と答えた。 亜森は「それは壊れていない時の値段だ」などと交渉の末「ほどほどの値段」で買ってきたのである。

「中国人が楔形文字の粘土板を作れるのか?」と有留が言うと
「もちろん作れるだろう」と亜森は確信有りげに言った。
「ちがうんだ。あの粘土板は確かに曰くありげに見えるが、楔形文字の粘土板がヒマラヤで手に入ると思うか? そういう物体ではなく、強烈な怨念のようなものを感じるんだ。あの美術館に原因があるのかも知れないと疑っているんだ、実は」
「うぅーん」と有留はうなってしまった。過去のシュメール展で何かあったのか? かなり変わった推論だと思うが、亜森は、休み明けにバイトに出たその夜からうなされるようになったと、時系列をたどって原因を美術館の中に求めていた。 有留が、自分もこの頃夜中に目が覚める時に「エンリル神の言葉を探せ」という声を聞いたような気がするし、粘土板についてもどういうものか知りたいので、大槻教授にアポを取ってアドバイスを貰うというのはどうだろうと提案すると、亜森はアルコールのせいか、亡霊のせいか分からないが、美術館原因説に固執しており有留の悩みや提案など鼻であしらう風であった。 しかし、このままでは解決の糸口が見つからないという点では一致した。 ということで連絡を取った結果、月曜日の午後3時に粘土板持参で大槻教授の研究室を訪問することになった。粘土板を手に入れたのでどういうものかアドバイスを戴ければ幸いですと単刀直入にお願いしたところ、3時過ぎなら都合がいいという返事を貰ったのだ。当然、祟り話などは無しである。

月曜日、亜森と有留は大学の大槻教授の部屋を訪ねた。大槻教授はシュメール考古学の第一人者で、訪問者も多く部屋には見栄えの良い応接セットが備えられていた。 現に、廊下で軽い会釈をしてすれ違ったのは、出版社の関係者のようであった。 ノックをして部屋に入ると先客がいて、応接セットのテーブルをはさんで大槻教授の前に座っていた。 中近東文化協会支部中近東楔形文字研究所の草備(くさび)所長であった。 科学雑誌に「ウラルトゥ王国」特集が決定したということで、その打合せを、出版社の担当者を含めて行っていたらしい。その時間を少し延長して、亜森と有留の持ち帰った粘土板を見てくれるようだ。 亜森と有留は、かしこまってバッグから粘土板を取り出して草備所長の前に置いた。

草備所長の華々しい活躍は、マスコミで取り上げられることも多かった。現地発掘隊にただ一人の日本人として参加し、長年にわたって楔形文字の解読作業に従事した経歴を持ち、その言葉は閃緑岩に彫り込まれた文字のように硬かった。
「どうもこれはシュメール語のようですね」と、草備所長は粘土板を上下に並べて言った。
「欠けているのが残念ですが、この文字を神を示す限定詞として、エンリル神と読んでもさしつかえないように思います。このような小さな発見物を、真面目に理解しようと努力することで悠久の歴史の一端に触れることができると思います。頑張ってね」
「ありがとうございます」亜森と有留は神妙に頭を下げた。

世間はシュメールの祟りとも粘土板の大発見とも無縁の大波に乗って動いているようで、有留は大槻教授にそれ以上の相談をする気にもなれなかった。 大槻教授は草備所長の言葉を繰り返し「良い機会だからシュメール語研究室の誰かと一緒にこれを解読して、文字を発明した偉大な人々を思うべきだ。焼成されているようなので、文章として読めるかもしれないよ。努力を惜しまず正しい姿勢で向き合うんだ」と激励した。
「ありがとうございます」亜森と有留はまた神妙に頭を下げた。

「麦の貸付記録みたいなものかも知れないな。エンリル神の名前に誓って作成だとか」 古代史資料室へ向かって廊下を歩きながら亜森が言った。草備所長が読む価値があると言ったのは「粘土板を手に取って、じっくり見ていると文字として見えるようになりますよ」程度の意味なんだろうなと、有留は思いつつ頷いた。教授の部屋に入る前にはあった高揚感は、どこかで消えていた。 古代史資料室の一部を仕切って机を並べているスペースに、粘土板読みの粘土(へなつち)さんはいなかった。タブレットの画面をたたいている男がいたので訊いてみると「今日は来ないような気がする」と言うのでそのまま帰ることにした。

駅までの、人も車も少ない道路を歩きながら有留は亜森に提案した。
「今夜だけこの粘土板を預かってくれないか、明日は交代するということで」
「あはっ、エンリル神の不在という訳か。あからさまなレプリカではなさそうな雰囲気だったが、何万枚もある粘土板破片の一つといったところだろう。まぁ、気になるのなら仕方ない、預かっておいて、明日このバッグへ入れたまま出勤するよ」
有留は、粘土板を入れた梵語文字プリントの袋を亜森に渡した。

翌日は快晴だった。有留の寝覚めも良かった。美術館の外壁の上部を装飾するガラスは、青い空に溶けるように輝いていた。 有留は、展示品の搬入搬出の効率化について、業者から提案された内容をまとめた文書を回されたので、目を通していると、亜森が元気のない様子で出勤してきた。朝の挨拶声もかすれ気味である。 有留は亜森の様子を見て「やっぱり原因は粘土板か」と「預けたのが良くなかったのか」という二つの気持ちが交互に沸き上がってきたので、何か声を掛けようとしたのだが、亜森は手を振りながら「後で」というような合図をした。 昼休みの終り頃、亜森が有留の元にやって来て「これ」と言って、梵語文字のプリントされた袋を机の上に置いた。 有留が「あぁ、それで・・」と言おうとすると、亜森は最後まで聞かないで、忙しそうに事務室から出て行った。 袋の中を覗いてみると、粘土板の破片が二つ入っていたので、机の上に出して縦長になるように置いてみた。草備所長のまねをして、中央部分にもう一つの破片があるかのように並べてみると、亜森の持ち物である下方部分に、星を表す文字が読み取れた。 * エン リル と読むのだろうかと見入っていると、赤土さんが戻って来て「まぁ それってアッカド語の粘土板じゃないの」と驚いたように言った。 有留は、昨日のことを赤土さんに話した。草備所長がシュメール語の粘土板のようだと言ったことを話すと「そうだったの、シュメール語なの。ちょっと待って、電話してみるから」と言って、スマホを持って部屋から出て行った。

赤土さんはすぐに部屋に戻って来て「その粘土板をお借りできませんか? 実は私の父の家に同じような粘土板があるのです」と有留に言った。 有留は「語を特定するのに役立ちそうなのですか」と言うと、赤土さんは、二つの粘土板の破片の隙間を指さして「この部分です、この斜めに割れた形が父のものと似ているので、もしかすると一枚の粘土板として復元できるかも知れません」 と、とんでもないことを言い出した。 有留はかなり疑問ではあったが、赤土さんの勢いに押されてしまった。亜森に連絡するとすぐ返事が返って来て、梵語プリントの袋ごと赤土さんに渡すことになった。 返事には追伸があって「祟りの原因が分かったので、明日の午後に証明する」とあった。

翌日も快晴だった。1時半頃、有留は亜森に誘われて建物裏の駐車場の見える場所に出た。
「これだったんだ」と亜森は、美術館に相応しいデザインの外壁を指さした。指さしたそこには、黒御影石が日光を全反射して白色に輝いていた。 「これ? 黒すぎる石」と言いながら、有留は黒御影石の上に手を置いた。「あチッ」石は火傷するほどの高温になっていた。
「これが怨念現象の原因だったんだ。この熱で壁から音が出ていたんだ。この壁の向こうは倉庫への入り口になっているだろう、石の膨張と収縮で発生したきしみ音が内側に響いていたんだ。昨日やっと分かったんだ。原因が分かったらシュメールの祟りも消えたよ」
亜森はさらに、貨物搬入搬出の効率化のために、樹木やベンチを移動させて駐車場を拡張したことで、近隣のビルのガラス反射が、外壁の黒御影石に集中する時間帯ができてしまったようだと、駐車場の向こうのビルを指しながら言った。 確かに、多少科学的な説明があれば幽霊現象は消えるかも知れないが「エンリル神の言葉はどう説明する?」と有留が言うと、亜森は「気になる時は大いに気になっていたが、今はもう遠くへ行ってしまったような気がするよ。怪現象が原因で、そう聞こえたつもりになっていたのかもしれない」と快活に答えた。

有留を悩ましていた夜中の騒音も消え、亜森を襲っていたシュメールの祟りも消えたらしい。粘土板の現在の所持者である赤土さんは、不眠、祟りなどとは無縁の人だった。 二週間ほど過ぎた頃、赤土さんから有留と亜森に食事の誘いがあった。例の粘土板のお礼をしたいので、ぜひにとのことだった。 赤土さんの知人で、シュメール語に詳しい先生も参加して粘土板の解説をするという、有留と亜森に異存があるはずもなかった。 「木曜日の午後7時に予約が取れたから」と赤土さんが言った場所は、ランドマークにもなっている有名ホテルのレストランだった。

木曜日、有留と亜森がそのレストランの入り口で予約を告げると、絵模様入りの低いガラスで仕切られた、ざわめきの広がるスペースを通り抜けて、木彫細工で仕切られた部屋に通された。 赤土さん達が、左奥のテーブルから小さく合図をするのが見えた。型通りの挨拶が終わると、赤土さんが紹介役となってそれぞれを紹介した。 驚いたのは「円詩(まどか)の父の赤土申厳(あかど・さるご)と申します」「赤図(あかど)です」「赤国(あかど)です」と、全員が「あかどさん」だったことである。 コース料理のメインの皿が、白いクロスの上に置かれた頃には、場も和んで「苗字には何か謂れがあるのですか」という有留の質問に、3人が次々と自説を披露した。
「アッカド人の末裔です」
「砂塵の舞う日に、東の地を目指すようにという神託があったということです」
「我々は、太陽の出る方角に向かってアジア大陸を歩いたのです。それは行軍ではなく、目的だったのです。何世代かの後に、日本にたどり着いた訳です」
「アッカド語は、濁音から始まる語が少ないと言われています。また、SA行の発音がSYA行になっている、つまり我々から言いますと SAの方が訛っている訳です」と、話が弾んだ。

テーブルの上がコーヒーカップくらいになった時、赤図先生が、おもむろに1枚の用紙を取り出して有留と亜森の前に置いた。 用紙には、3個の破片をつなぎ合わせて完成したことが分かる粘土板のイラストが、楔形文字も含めて書き込まれていた。 絵の下に解説があり、単語別に切り離した楔形文字と、アルファベットや数字と直訳日本語が並んでいた。 そして、語を並び替えた意訳が最後に記されていた。

(意訳)
 麦 を 買 う た め に 銀 を 携 え て 北 へ 行 く
 麦 を 送 ら ず 北 の 兵 を 集 め て 背 く
 今 日 北 の 地 に 麦 (はある) ウ ル 市 に 麦 は な い
 エ ン リ ル 神 の 厚 意 が 戻 っ た そ の 日
 背 信 の 言 葉 は 汝 の 首 に か か る だ ろ う

「すごい!」有留と亜森は声を上げた。
その声を待っていたかのように、赤土申厳(あかど・さるご)が身を乗り出して言った。
「勝手なお願いですが、あの粘土版を譲って頂けませんでしょうか。もちろん代金はお支払いいたします。非常に重要な件なのです」
「重要な件とはアッカド史に関係するものですか?」と亜森が言った。
「あの粘土板は、私の曾祖父、申牟(さるむ)がイランのスサで、明治35年に入手したものです」と赤土申厳は話始めた。

1902年(明治35)、赤土申牟(あかど・さるむ)はロンドンからの帰途、メソポタミアの地に立ち寄りたいと思い情報を収集していたところ、ペルシャのスサで発掘中のフランス隊が、かなりの成果を上げていることを聞きつけた。 その頃日本では、メソポタミア神話の中に、古事記神話に類似した物語が発見されたこともあって、メソポタミア(バビロン)に対して妄想的なあこがれを持つ者が多かったのである。 赤土申牟も、歴史の彼方に消えた砂漠の都バビロンに魅力を感じていた一人であったが、古代遺物がぞくぞくと出土しているという情報には、それを上回るものがあった。 赤土申牟は、セイロンへ向かうイギリス商船に乗って地中海を渡り、ペルシャのスサへ向かったのである。 フランスの発掘隊は、ルーブル美術館を飾るために精力的に掘り進めていた。発掘品の中に、戦利品としてスサへ送られたアッカド王朝の碑らしいものが見つかったと聞いた赤土申牟は、にわかに自分が何者であったかを思い出し、アッカド語の粘土板を入手したのである。

日本へ戻った赤土申牟は、ある夜「エンリル神の言葉を探せ」という声とともに現れた不思議な夢(のようなもの)を見た。 申牟は、その夢の原因がスサから持ち帰った粘土板にあるに違いないと思い、粘土板を箱に収めて封をしてしまった。 赤土申牟(あかど・さるむ)の後を継いだ赤土瑠軽(あかど・るがる)は、その封印を一笑し一同の前で封を切って中身を披露した。箱の中から、紫の絹布に包まれた粘土板と赤土申牟(あかど・さるむ)自筆の書が出て来たので、赤土瑠軽(あかど・るがる)はこの書を読み上げた。

深更「エンリル神の言葉を探せ」という怪声ありてランプを持ちたる人現わる。
ランプの灯少くして顔見えざりしも声有り。
 金属は硬し、このペンのみがランプに文字を刻む、何故か
 金属は硬し、水銀の二つの性質が赤いエリキサを生む、何故か
云終えるやランプも人も飛び去れり。
明治38年5月9日 赤土申牟

赤土瑠軽(あかど・るがる)は、少し間を置いて「怪力乱神を語らず」と云うべし、と言った。 しかし、軽々に披露して風評を広めるのも宜しくないので門外不出とするが、学術のためであればこの限りではない、と続けた。 集まった面々は、書を回したり粘土板を手に取って見入ったりしながら「金剛石のペンというのが答えだろうが、第二のなぞなぞの答えは分からない、エリキサなど聞いたこともない」と、怪訝な面持ちで言い合った。

その後も機会があれば箱は開けられた。初めて見る者は、粘土板よりも申牟(さるむ)の出会った怪異や奇妙な問いのほうに興味を示した。 「第二の謎については、水銀の金属光沢と液体としての存在や、高温で加熱すれば赤色の酸化物になることが不思議に思えたのではないか」という意見と「錬金術の秘密のシンボルに違いない」という二つの意見が対立していた。最近は「超電導に関する預言ではないか」などというSF的な意見も出ている。

「少し話が粘土板から逸れてしまいましたが、この粘土板がこの赤土の家に揃ったことは、非常な幸運だと思います。曾祖父、申牟(さるむ)の心を酌み、ぜひお願いいたします」と赤土申厳(あかど・さるご)は断固たる調子で締めくくった。 赤図先生が続けて言った。「この粘土板は、ウル第三王朝滅亡の記録の一つではないかと思うのです。もし、そうであれば、いや、そうでなくても一枚の粘土板として保存しておきたいのです。ぜひお願いします」
「滅亡の恨みかなにかが、エンリル神の名前を呼んでいるのですか」と、有留は自分の体験もあって、怪談の語り部のような口調で言った。
「確かに、エンリル神の名前が出るのは不可思議ですが、申牟(さるむ)氏の書付と粘土板とは別個のものだと考えた方がいいでしょう。
エンリル神を信仰していたシュメール人の都市であるウル市は、戦いに敗れて荒れ果て、その後、王都としての復活はありませんでした。栄枯盛衰の物語は人の心を打ちます。人の世の物語だからです」と赤国さんは真面目な顔で言った。
「ぜひお願いします」と赤土さんも言った。

お礼というよりも、商談の食事会だったらしいが、有留も亜森も粘土板を手放すことに何の未練もなかった。特に有留は赤土申牟(あかど・さるむ)の書付を見て、今夜にも亡霊譚の次幕が開くのではないかと心配になっていたので、渡りに船とばかりに粘土板の売却に同意した。 ホテルの前でアッカド人達と別れた後、「赤土さんのご先祖の夢は本当のことだと思うか」と、有留が亜森に言うと「体調が良くなかったせいだろう」と予想通りの答えが返ってきた。 しばらくして、亜森は南米ナスカ平原の「長期乾燥が土壌に与える影響調査」に参加することになった。亜森は「ナスカ平原の地上絵は、縄を伝達手段に使用していた民族が長い縄で描いた縄絵である」ので、乾燥の大地に立って自分の説の正しさを確認してくる、と張り切って旅立って行った。

有留は時々、赤土申牟(あかど・さるむ)の書付を思い出し、「文字を刻む」という言葉を反芻してみた。そして、文字の彫り込まれたランプがどこかに有るような気がして、喧噪の中に立ち止まるのであった。