TOPへ戻る 曇った鏡  
厳重に荷造りをして持ち帰った荷物をほどいて、スークで買ったエキゾチックな品々を部屋のあちこちに置いてみた。
古金色のふち飾りのついた鏡は壁に掛けることにした。牡丹の花びらが重なったようなふち飾りは完全に左右対称で、厚みのある重厚な造りになっていた。
汚れているのが気になったので、湿った布で飾りの裏の部分を拭いてみた。色落ちやこぼれがないことが確認できたので、複雑な彫りに沿って丁寧に汚れを落としていった。深い彫りの部分は綿棒まで使って埃を払った。
1時間近く磨いたあと鏡を壁に掛け、角度を変えて仕上がりを点検した。ふち飾りの輝きと楕円形の鏡の形がマッチしてすばらしい仕上がりだった。
ところが自分の顔を映してみると、どういうわけかうっすらと曇っている。今度は、鏡の部分を念入りに拭くことにした。鏡を眼の高さに持ち上げて表面の汚れを確認しながらまた念入りに磨いた。鏡はガラスだからガラス用の洗剤も使って楕円形の鏡の隅々まで丁寧に拭いた。
それでも曇りが取れない。少し残念だがあまりにも年代物なので、鏡として使用するのは無理があるようだった。
しかたがないので壁に掛けて眺めるだけにしたが、鏡は十分に美しく異国の香りがした。

旅行の浮かれ気分も醒め、いつもの生活が戻ってきた。
いつの間にか壁に掛けた鏡の前でネクタイを確認するのが習慣となっていた。相変わらず鏡は曇っているのだが、どういうわけかネクタイのあたりはしっかりと映っていて、出かけにチェックするくらいなら支障がなかった。

なんだか少しおかしい? と気付いたのは、ひと月ほどたってからのことだった。いつものように出かけに鏡を見ると、自分の右手はネクタイの結び目を押さえているのに、鏡に映った右手はまだネクタイに触れていなかった。
あれッ と思ったが、なにしろ朝は忙しいので、少々の思い違いを確認する余裕はなかった。
次の朝、鏡を出し抜く勢いで鏡の前で手を振ってみた。やっぱり少し遅れている。パッとピースサインを映してみると後出しジャンケンのようなタイミングでピースサインが鏡の中から返ってきた。
おかし過ぎるが、そんなことを確認している自分にも自信がもてなくなりそうなので、光線の具合か、鏡自体の歪みのせいだろうと結論づけた。

しかし、鏡と現実の誤差は広がるばかりだった。このごろは鏡の前に立っても自分の姿など映ってもいないのだ。
気にしていないと言えばウソになるが、鏡の中の時間だけがズレているなどという現実は考えたくもないので、古すぎる鏡は映りが悪いと思うことにした。

たしか、鏡がしゃべる話があったがシンデレラだか白雪姫だか、今なら鏡に向かって問いかけると返事が聞こえてきそうな気がした。しかし、「世界で一番イケメンはだれ?」とか尋ねる自分は世界で一番おかしい男になりそうな気がしたので、鏡の問題は考えないことにした。
部屋の装飾品としては申し分なかったし、あまり不快になればネットオークションに出品するという手もある。鏡ていどのことで悩むのは時間の無駄というものだ。

日曜の昼頃、出かける時のいつもの習慣で鏡を見るとどうしたことだろう、一点の曇りもない鏡にハイビジョン以上の鮮明さで部屋の中が映っているではないか。鏡の正面にあるクローゼットや壁が静止画像のように金色のふち飾りの中に納まっていた。
いつのまにか鏡の曇りは消えていた。
鏡についての疑問がまた一つ増えたが、とにかく古すぎる鏡には複雑な問題があるということだ。

その夜、鏡をのぞいてみるといつものように薄く曇っていた。